「ドナルド・キーン展」と沖縄復帰50年

ドナルド・キーン(1922~2019)さんは、日本文学を英訳して世界に広めた人。日本とアメリカを往来しながら、最後は日本に国籍を移し、日本人の養子を得て、日本に骨を埋めました。東日本大震災直後、多くの外国人が離日するなか、キーンさんが日本に永住を決意したことは、自信をなくしていた私たち日本人に勇気を与えてくれました。
戦時中は米海軍の将校として、日本人の通訳や翻訳を担当していました。戦時中の日本人兵士の日記や学生時代に「源氏物語」に接したことが、日本文学を研究するきっかけとなったようです。
現在、県立神奈川近代文学館では生誕100年を記念して「ドナルド・キーン展」が開かれています。知るほどに素晴らしい人で、私たち日本人こそが彼の作品を通して日本を知る必要があると思いました。

ロシアが一方的にウクライナへ侵攻していることを、私たちは憂慮しているわけですが、それは専制主義が民主主義を侵攻していることであり、ウクライナが欧米に代わって戦っているということでもあります。それは戦時中の沖縄戦とも重なります。
日本本土が米国の占領から解放されて主権を取り戻したのは1952年ですが、沖縄は1972年であり、20年遅れました。今年は沖縄復帰50年であり、NHK朝ドラも沖縄を舞台にした「ちむどんどん」が放映されて、沖縄に注目が集まっています。その沖縄は芸能や芸術などの文化が盛んなところで、私たちの心の支えにもなっています。
沖縄は、かつて琉球王国(1492~1879)として栄えました。14世紀後半に明国との冊封体制を取りつつ、16世紀初めに薩摩藩の支配下に置かれながらも、各国と貿易をして、独自の文化を築き、平和な国を維持しました。沖縄の歴史や文化を知ることは、平和を考える上で、大切かと思います。

文化を大切にする民族がエリアを守るのか、エリアを大切にする民族が文化を守るのか、難しいところではあります。攻められたら、抵抗しなければ殺されてしまう。だからといって武器を供与することは、さらに戦死者を増やし、戦争を長引かせる。投降するのか、自決するのか。投降して命は助けられても、今度は逆にそれまでの味方を敵にまわして殺さなければならない。やはり考えるほどに、分からなくなります。

「ドナルド・キーン展」と沖縄復帰50年、ロシアのウクライナ侵攻、これらはバラバラのテーマのようですが、文化を大切にすることが平和につながるという意味で共通しています。何か共時性を感じる今日この頃です。

写真は、「私が日本人になった理由」ドナルド・キーン著 PHP研究所 2013年発行

「ドナルド・キーン展」と沖縄復帰50年” に対して2件のコメントがあります。

  1. かつみ より:

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    1. katsumi より:

      ご覧いただき、ありがとうございます。
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